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2018年06月13日スタッフブログ

半分、青い

朝のテレビドラマのタイトル画は、雲の浮かんだ青空である。私は学生たちへのメッセージは「楽しいときは大いに笑え、悲しいときは空を見上げろ」と書くことにしている。

 

「人はなぜ空を見上げるのだろうか?」「下ばっかり見つめていると苦しくなるから」。

 朝食時にそんな会話を妻とした。「涙が零れ落ちないように」とか「空には夢があるから」などの返答を期待していた私は、肩透かしを食った気持がしたが、妻の言い分にも一理あると思う。たくさんの人間がそれぞれの訳をもって空を見つめる。いやそれ以上にたくさんの人間が訳もなく空を見つめる。訳があっても、訳なんかなくても、空を見つめるのが人間なのだ。最近、そうしたありのままの人間の行動や所作に興味がわく。

 

それは私が3歳か4歳のころだったと思う。広島の自宅の2階に木製のベランダがあって、茶臼山やその上の青空を見上げることが好きだった。夜は畑の向こうの人家の明かりがともり、山の上の月明かりや夜の星もきれいに見えた。

朝だったのか夕暮れだったのか、蚊の鳴く音から轟音に拡大し「グオーン、グオーン」とあたり一帯が響き渡り、空も一瞬暗くなったと思った。何百機もの黒い飛行機が、西の空のほうへ向かって飛んで行ったのである。あの頃、朝鮮戦争が始まったことは中学生になってから知った。岩国の米軍基地を飛び立ち、広島市の西の空を経て、日本海側の浜田市沖に向かい、そして朝鮮半島に爆弾を落とす戦闘機や爆撃機の編隊ということはもっと後になって知った。とても怖くて父にも母にも空の飛行編隊のことは話さなかった。小学生のころ、夢の中にその飛行編隊が現れ、うなされて夜中に目を覚ますこともあった。それでも、夢のことは父母には話さなかった。

テレビでは米朝首脳会談を報じている。朝鮮戦争の終結を目指す合意文書に米朝が署名した。休戦以降65年を経た快挙である。東アジアの平和実現を強く望みたい。

 

中学生になって、体を鍛えるために、毎日眺めている茶臼山に走って上ることにした。当時はそのまま山の形があり、走って登れば往復40分ぐらいで帰ってきた。朝早起きして、走り、山頂には城跡があり、そこから広島市内を一望し、空の色を確認し、滑りながら下ってくる。雨の日は避け、晴れの日のみの駆け上がり登山だったがよく続いたと思う。おかげで、中学生になってから暗い夢に悩まされることはなくなった。体を動かし、良い眺めを見渡し、空気をいっぱい吸って毎日を過ごす。そんな習慣が始まった。

70歳をすぎた今でも、雨雪風の日以外は、散歩は欠かさない。松江城山の椿谷は大学時代からの散歩道である。島根県立短期大学の学生愛唱歌に「つばき谷 こみち」という1節がある。散歩の際に想うこと、思い返すことをこのコラムに綴ってみたい。

大山に咲くイワカガミの花

8合目から頂上まで続く木道沿いに群生しています

 6月2日撮影

 

 

 

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